青年技能者の技能レベルを競う技能五輪の出場者に、
当時のご経験や心境の変化を伺う「技能五輪のアフターストーリー」。
左官職人の手塚雄二郎さんは、2009年にカナダ・カルガリーで開催された技能五輪国際大会へ出場。左官職種で銅メダルを獲得しました。
その後は技能五輪の競技員として後進の指導に当たるなど、左官業の振興に携わっています。
学ぶ環境を求める過程で出会った「技能五輪」
父が左官職人で、週末には父の手伝いで現場に行っていました。小さいころから父の仕事姿を間近で見ていたので、いずれは自分も左官職人になるのだろうと思っていました。
左官の知識を深めようと工業高校の建築科へ進学しましたが、左官に関する授業はほんの少しで、ほとんど勉強できなかったんです。卒業後の進学先を探しても、県内には左官についてみっちり学べる環境が見当たりませんでした。そんななか、たまたまインターネットで見かけた左官コースのある新潟の職業訓練校のホームページに「技能五輪」の文字を見かけたんです。その学校では2年生の希望者が技能五輪の予選に出場していて、このときから技能五輪に興味を持ちました。私も進学後の2006年に左官職種の予選へ出場しました。
訓練校の卒業後は父の仕事を手伝っていましたが、あるとき聞かれた「技能五輪にはもう出ないの?」という言葉が気がかりになりました。しかし、出場するなら仕事を休んで練習に専念しなければいけません。両親に相談したところ、学生時代に大会を見に来てくれたこともあってか、出場に理解を示してくれました。
全国大会の各種目優勝者は、その翌年に開催される国際大会へ出場することができます。これを目標に、環境の整った母校をお借りして練習を重ねました。全国大会の結果は残念ながら2位でしたが、出場年齢制限による繰り上げで国際大会への切符を手にしました。
世界の舞台を経て生まれた仕事への責任
「今度こそ1位を」という気持ちで、国際大会の約10ヶ月前から母校で練習を再開しました。全国大会と国際大会では作業の内容が全く異なり、左官する壁を建てるために軽量鉄骨を組むところから始まります。専門外の作業ばかりで、道具の使い方を覚えるところから始まりました。当日制作する課題は大会の3ヶ月前に発表されたのですが、1ヶ月前には工具を海外に送らなければいけず、課題の練習は実質2ヶ月程度しかできませんでした。日本と海外における左官業の違いや国際大会の難しさを準備段階から感じましたね。
初めて行った海外で1人きりの挑戦。2日間の決められた時間内に作品を完成させるためにも、予定通り作業を進めることが肝心ですが、1日目に時間配分を誤ってしまい、取り戻すための作業に必死でした。金メダルを目標に練習を重ねてきたので、3位という結果には肩を落としましたが、表彰台に上がったときには高揚感がありました。
大会の結果は新聞やテレビなどで取り上げていただきました。自分としては自慢できるような結果ではなかったのですが、現場に足を運ぶたびに職人さんたちからメダル受賞のことを引き合いに出されました。メダリストとして見られるようになったことで、評価のハードルが上がったように感じて、下手な仕事は決してできないと思うようになりましたね。あれから10年以上経ちましたが、いまでも気を引き締めて仕事を続ける理由のひとつになっています。
左官を伝える立場として
2011年に技能五輪全国大会の補佐員を務めたのち、2012年から2020年の3月末までは競技委員として全国大会の審査や国際大会へ出場する選手のバックアップを務めました。特に2012年は開催地が長野だったということもあり、松本周辺の中学校を訪問して国際大会での経験や左官業についてお話する機会をいただきました。
現在も信州ものづくりヤングマイスターとして、長野県産業人材育成支援センターからの依頼で県内の教育機関へ授業に行くことがあります。実際に壁を塗ってもらう体験などを通じて、子どもたちに左官を身近に感じてもらっています。
漆喰には室内の湿度を調節したり、アレルゲンの発生・繁殖を抑える効果があると言われています。自然素材ならではのやさしさや、塗る人による仕上がりの違いが左官の魅力です。現在はサイディングやクロスによる仕上げが主流で、左官を行なう現場も少なくなっていますが、これからも講演や授業の機会を通じて技術を伝えていきたいと思っています。
手塚左官店
住所:長野県大町市常盤3530-51
電話:0261-23-4782